脳死状態となった妊婦の尊厳死を望む家族が,(法律に基づき生命維持装置による延命を主張した)病院を相手取り,生命維持装置を外すよう求めた訴訟で,アメリカ・テキサス州の裁判所は家族の請求を認め生命維持装置を外すよう病院に命じたそうです(毎日新聞H26.1.27記事)。
アメリカでの類似ケースに,「カレン・クインラン(Karen Ann Quinlan)事件」として知られるケースがあります。
この事件は,薬物等の影響でいわゆる「植物状態」に陥り,人工呼吸器等によって生命が維持されていたカレン・クインランという女性(当時21歳)の両親が,意思決定のできない娘(カレン・クインラン)に代わって,治療内容(人工呼吸器を外すことも含む)を決定しうる後見人として自分たちを選任するよう裁判所に求めた,というものです。
ニュージャージー州最高裁判所は,両親の訴えを認め,父であるジョセフ・クインラン氏を後見人として選任するという決定をしました。そして,ジョセフ氏は人工呼吸器を外すという決断をし,カレン・クインラン氏の人工呼吸器は外されることになりました(詳細にご興味がある方は,カレン・クインラン記念財団のウェブサイトをご覧ください)。
今回のケースは,生命維持装置の取外しによって,胎児の生命が(も)奪われてしまうという点が,カレン・クインラン事件と異なるところです。
毎日新聞記事によれば,「妊婦は脳死状態になる前,強制的な延命措置は望まない考えを示して」いたとのことですので,テキサス州の裁判所は,妊婦の自己決定を尊重することによって胎児の生命が失われたとしてもやむを得ない,と考えたのでしょうか。
判決文をみてみないと何とも言えませんが,もし判決がそのような価値判断に基いているのだとすれば,自己決定権の尊重に傾きすぎているのではないか,という印象を受けます。
自己決定権の核心を,「決定の内容がどうであれ,自分自身で決定をなしうること自体に至上の価値があるのだ」というように考えたとしても,第三者の権利を侵害することの正当化まではできないように思うのですが,皆さんはどのように考えるでしょうか。
※なお,法律的には,出生後の人に比べ胎児は限定的な保護しか受けられないということがいえます。例えば,胎児について「殺人罪」(刑法199条)は成立せず,「堕胎罪」(刑法212条以下)が成立するにとどまります(殺人罪は死刑が科されることもありますが,堕胎罪の場合は最も重い不同意堕胎罪(刑法215条1項)で7年以下の懲役です)。また,民事上も,胎児には「権利能力」(権利・義務の享有主体となりうる地位)は認められず,ただし例外的に,不法行為に基づく損害賠償請求,相続,遺贈については「既に生まれたものとみます」として,権利能力が認められています(民法721条,同886条1項,同965条)。
弁護士櫻町直樹
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